映画「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」監督・キャスト、あらすじ・感想 昔々ハリウッドでは…

タイトルは、日本昔話?

”昔々ハリウッドでは…。”的な。

マカロニウエスタン、シャロンート事件とは?その意味や考察。

社会への皮肉や揶揄的な表現、評価が高い今作におけるタランティーノ監督の凄さとは。

作品情報

制作年 2019年

制作国 アメリカ、イギリス

上映時間 161分

ジャンル ドラマ、スリラー

監督

クエンティン・タランティーノ

キャスト

レオナルド・ディカプリオ(リック・ダルトン)

ブラッド・ピット(クリフ・ブース)

マーゴット・ロビー(シャロン・テート)

あらすじ

テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトン。

彼を支える付き人でスタントマンはクリス・ブース。

日進月歩で変化するエンタテインメント業界で生き抜くことに神経をすり減らすリックと、対照的にいつも自分らしさを失わないクリフは固い友情で結ばれていた。

そんなある日、リックの暮らす家の隣に、時代の寵児ロマン・ポランスキー監督と、その妻で新進女優のシャロン・テートが引っ越してくる。

光り輝くポランスキー夫妻を目の当たりにしたリックは、俳優として再び輝くため、イタリアでマカロニ・ウエスタン映画に出演することを決意する。

感想・考察

マカロニ・ウエスタンとは?

作中ので多用されポイントにもなってくるのが、”マカロニ・ウエスタン”

これは、1960年代から1970年代前半に作られたイタリアで製作された西部劇を表しているそう。

イギリスやアメリカではスパゲッティ・ウエスタンとも呼ばれるそうな。

 

西部劇といえばアメリカのイメージが強い。

明日に向かって撃て」なんかは特にアメリカンニューシネマということもあり、アメリカ=西部劇というスキームがピタリとハマる。

 

端的にいうとにマカロニウエスタンとは「イタリア製の西部劇」のことになるわけだが、その皮肉っぽさや揶揄しているような作風がなんだか面白い。

というのも、そもそも西部劇というのは西部開拓時代のアメリカを描いた作品という前提があるにも関わらず、「アメリカで製作していないアメリカ歴史をテーマにした作品」という、所謂偽物的な印象も感じてしまうからだ。

マカロニウエスタンを挿入する意味はなんだったのか

今作ではレオナルド・ディカプリオ演じるリック・ダルトンが、そのマカロニウエスタンの皮肉や揶揄に対して葛藤する。

俳優としては、マカロニウエスタンの出演も前向きに考えていかねばならないが、どこか心に引っかかる。

そんな彼の表面からは直接読み取りにくい機微であったり、表層的な言動がそれを確かなものにしている。

これが今作においてマカロニウエスタンがポイントになるという理由だ。

 

僕たちの生活でも、”やりたくないけどやらなければいけないこと”なんて日常茶飯事である。

学校に仕事、プライベートに到るまで、何から何まで、そんな葛藤は付いて回る。

けれど生きるためにはお金が必要、だからやらなきゃならない。

 

これは表現が正しいのかわからないけれど、僕たち観客の心をリック・ダルトンで擬人化しているようにも思える。

つまり、リュックは観客の心の代弁者的な存在として作中を生きている。

これが、今作の惹きつけられる点であり、巨匠クエンティン・タランティーノ監督の狙いでもあるように感じる。

 

言い換えれば、マカロニウエスタンというネガティブな要素を挿入することによって観客の心を掴むという演出でもあるのではないだろうか。

巨匠であるがためには様々な理由があるだろうけれど、歴史的背景や観客となる現代社会に飼われているマスの心境、それを繋げる力が必要になってくると思う。

それがやはりクエンティン・タランティーノ監督の映画であり偉業だとも感じる映画になっていた。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドの評価は?

某映画サイトなどでも高い評価を得ている今作。

映画に完成も未完成もないだろうけれど、先ほどのような理由で僕自身も完成度の高い作品であることは間違いないと感じている。

 

しかし、クリフがアジア人と戦うシーンは残念な点だった。

というのも、アジア人がほぼ完全に揶揄されて描かれているから。

ビジュアルも展開も、そう感じてしまう僕もなんだか情けないような気もするが。

雑談が多め それゆえに難しさもあるはず

クエンティン・タランティーノ監督特有の作風である雑談のシーンが今作でも多用されている。

雑談といっても、ないと駄目だと思わせてくれる点は流石です。

そういってしまうと雑談ではないのでは?と思われるでしょうれけど、確かに雑談なのです。

でも、入れることで物語に人間的な深みが出てくる。

そんな作りが絶妙なのです。

 

これをあくまで映画という製作物で実践するのは至難の技なのだと。

だからクエンティン・タランティーノは凄いのだと、改めて感じさせてくれる作品。

シャロン・テート殺人事件とタイトルについて

タイトルは日本昔話と思えば、馴染みがありますね。

日本昔話の”昔々ある所に…。”て具合で、”昔々ハリウッドで…。”的な感じでしょうかね。

日本昔話がおじいさんとおばあさんであるとするなら、

今作では”昔々ハリウッドには、テレビ俳優として人気のピークを過ぎ、映画スターへの転身を目指すリック・ダルトンと彼を支える付き人でスタントマンのクリス・ブースが居ました。”となりますね。多分。

 

今作を見るにあたってざっくりとでも理解しておいた方が良いのが、「シャロン・テート事件」。

これは、カルト信者がハリウッド女優シャロン・テートを殺害した事件で、このシャロン・テート宅のお隣がリック・ダルトンとクリス・ブースの家。

しかし、彼らは実は創作上の人物で、実際の事件には関係なく、実話をベースに創作を織り交ぜて映画にしていったのが今作。

 

もしも、彼らのようなアウトローが実在してくれていたのなら…。

そんな期待感を抱かせるのも今作、映画の面白さでしょう。

しかし、実際シャロン・テートの親類が今作を見たらどんな思いをするのか…。

それは一概には言えませんが、ネガティブな印象をもつのは間違い無いでしょう。

というのも、あくまで映画となれば基本的に有料でビジネスだから。

親類が亡くなった昔話をビジネスにされてはたまったものではありません。

 

しかし、それでも映画にしてしまうタランティーノ監督が光る。

クリエイターとしての想いというか。

 

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