映画「おもひでぽろぽろ」監督・キャスト、あらすじ・感想 学びの幅・深さ。ジブリの凄さを感じるには

耳をすませば」に続き観たことのないジブリ作品の鑑賞でした。
今回は、それを越えるレビューになってしまいましたが、この作品から学ぶことは多岐に渡りました。
今まで有名どころのジブリ作品しか見ていませんでしたが、ジブリの良さは、こういう何気ない日常的な物語を代弁する作品なのかもしれません。
映画としても面白く教養としても為になる素敵な作品でした。

作品情報

制作年 1991年

制作国 日本

上映時間 118分

ジャンル アニメ

監督

高畑勲

キャスト

今井美樹(岡島タエ子)

本名陽子(岡島タエ子:小学生)

柳葉敏郎(トシオ)

伊藤正博(タエ子の父)

寺田路恵(タエ子の母)

あらすじ

982年夏の山形県が舞台。
東京育ちの27歳OLタエ子は休暇を取り、姉のナナ子の夫の親類の家に宿泊することになった。
田舎暮らしに憧れを抱くようになったタエ子だが、その気持ちは幻想的であると思い込み東京へ向かう列車に乗車したが…。

感想・考察

田園回帰や地方創生など、地方が注目されるようになった現代こそ

田園回帰の動きが注目される昨今ではありますが、UIJターンというのは実際にはハードルが高かったりするもので。
そこで地方では体験型のイベントや道の駅など単発のビジネスを頻繁に打っています。
もともと地方出身ということもあり地方創生や地域活性、都市戦略、まちづくりという学問的な所に関心があり、ある程度勉強してきました。
地域のオンオフ共にハブとしての機能を果たす「道の駅」にはポテンシャルを感じるとともに、地域の集客がその機能に半依存的なことに危惧も覚えています。
この映画はそんな事を想起させてくれる作品でした。

社会に揉まれる葛藤と田舎の慰安 ジブリの着眼点

1982年が舞台という事ですが、心理描写は特に現代にも通じうるリアリズムを感じます。
都心の雑踏と田舎の平穏を対比させ、タエ子の揺れ動く本質的な心の問いとその答えが比喩的に回想シーンから表現されています。
やはり映画化する際の、ジブリの視点というか観察眼やテーマ選定、時代を読む力には感嘆しております。端的に凄い。

誰もが懐かしむ光景の数々

ラジオ体操やその出席カード懐かしすぎました。
田舎だけかと思っていましたが東京にもあったんですね。
今では今はもうないのかなあ。
パイナップルのシーンも印象的です。
恐らく熟していないパイナップルを食べて、その酸味からか顔をすぼめる。
パイナップルがまだ一般的ではなかったという事を感じ取ったのですが、パイナップルの缶詰は既に存在していたんじゃないんですかね。
何にせよ既存ではない物や新しい物、普通ではない物というのは最初は受け入れられずということを揶揄しているようです。
家族殆どが美味しさを感じないに対してタエ子は好奇心から目新しさに感動する描写から、その無垢で前向きな心を感じます。
お婆ちゃんはその経験が物を言うかの如く、味覚が合わなくてもそれも経験だと許す姿が物事に対する悟りの様なものを感じます。
お母さんも然り。お父さんは不味いものは不味いと言わんばかりに一口食べて煙草を手にする。姉達はタエ子に譲る。
典型的ではありますが巧く家庭の姿をを表現していました。

学校給食のあり方について

学校教育における給食の在り方も議論されるところではあります。
好き嫌いというのは当然でありますが、今作の様に全部食べなさいというのは、まあ頷けるところでもあります。
というのも自分は強制して食べさせられたことはなく、しかしこんな味がするよ。
と両親に上手く好奇心を引き出してもらって、その好奇心から基本的に何でも食べるようになりました。
当時はなんなる好奇心でしたが今ならその食べさせ方が理にかなっていますし所謂良い食教育をしてもらったと感じています。
それは今も健在で理論的にも分かった上で好奇心のまま取り敢えず食べることをしています。
味覚的に新しいものに出会えて楽しいですから。
学生時代のアルバイトがカフェだったのでお客さんに商品を紹介する機会が頻繁にありました。
その時、自分の表現力になさやセカンダリニーズを引き出せないことで商品を魅力的に伝えることができず、問題意識をもっていた自分に40近い上司が味覚に関して教えてくれました。
「お洒落なものを考えてながら沢山食べれば表現できるようになるよ」と。
今までもある程度高級なものからファストフードまで色々食べてはいましたが、それをきっかけに言語化するようになりました。
上司の言葉で自分の習慣を変えて頂き、言語化によってセールスコピー的な事まで学ばせて頂きました。

リアリズムとファンタジックの調和

回想しながら対比して進む物語の構成が素晴らしく、リアリズムから脱した際の感情の高揚をファンタジックな演出で描くのも素敵でした。
現代のタエ子の恋愛ベースの物語かと思いきや、前半はタエ子のバックグラウンドが長めに描かれていました。
恋愛よりもそういう古い描写こそ伝えたかった事なんでしょう。
しかし、前半がファンタジックながらも、こういう何気ない現代の日常とその葛藤を描いたものこそジブリのバリューなんでしょう。

環境問題を教師がどう伝えるか

学校で出たゴミは焼却炉のシーンも印象的です。
自分が小学生の10年前はすでに環境問題や規制が始まり焼却炉はありましたが使われていませんでした。
しかし、先生はそれが何故かなんてことは教えてくれませんでした。
その理由付けこそ先生が子供伝える教養であると思っています。
車のエンジンがかからないシーンもテクノロジーの進歩であったりそこから生まれる知恵なんかを卒なく教えてくれます。
とくに自動車を始めとする製造業で経済成長を遂げた日本なのですから。

昔の娯楽としての言葉遊び

タエ子とトシオが芭蕉の句を楽しむシーンも、ゲームもスマホもない当時は、そうやって言葉を楽しんだというのも素敵でした。

紅花詰みの少女の憎しみ

紅花は古くからある農業ですが、当時それを巧く金儲けに使った人は金持ちになったが、農家の娘は紅をつけられないという間接的な資本主義を揶揄すふ表現も上手いです。
なぜ紅はこんなに鮮やかなのか。という問いには、ゴム手袋がなかった当時、一生紅をさすこともない娘が棘に指を刺されながらも低賃金で花を摘む。
その血が紅をより一層深く染め上げるからという恨みがあったと。哲学的で揶揄的で深い。

農家のリアル

実家が兼業農家なので減反も知っていましたが、トシオの当時のリアリティを感じました。
そして生き物を育てる様に稲や野菜という生き物を育てる。
無農薬というネガティブな表現を避け、本当の豊かさを求め、生命の本質を育てるという趣旨も素敵でした。

亭主関白とは

口数の少ないお父さんだが、無言の機微やその威圧感は当時ならではかもしれません。一種の文化かも。

スピルバーグからインスパイア?

約束事をするときに、スピルバーグの「E.T.」を思わせる、指を合わせるシーンがありましたが、あれは完璧に模倣した演出でしょう。
少し違和感と共に模倣的な事をするんだという驚き。

義務教育の是非 個性をどう捉えるか

分数の割り算が苦手なタエ子でしたが、その論理を追求してしまうと理解できないというのも自分と重なるところがありました。
流石に20点台はありませんが、他のテストは100点近く取れていましたが、算数は80位が多かった気がします。
しかし、タエ子ほど作文や演技には得意意識はありませんでした。

自然は自然ではない

都心に住まう方が地方にくると半分嫌味を込めて「自然だ。田舎だ。」と表現されます。
しかし、トシオと同意で、田舎が自然なのではなく。
自然と人が共同作業で作り出した風景であることに異論はないはずです。
自然は手のつけられていないそのままでしょうから。

ジェントルマン トシオ

ジーパンに腕まくりの白ティー姿のトシオ格好いい。
尾崎スタイルだ。
当時トシオが嫌った父に対しても農業の先輩として尊敬する前向きなトシオに好意を抱くタエ子に共感を覚えました。
そんな素敵なトシオですが、レディーファースト過ぎてドアマンをしていました。
実際に田舎の人がこれをするのかは疑問です…。
トシオが紳士すぎないか。

ゆるりと心に寄り添い、しかし強烈に入ってくる映画の優しさ

エンディング素敵すぎましました。
確かに有名どころのジブリ作品よりインパクトはありません。
そこに異論はありませんが、有名どころよりも心に寄り添う形で感じる何かがある作品です。
この作品よりも前に「天空の城ラピュタ」「風の谷のナウシカ」が制作されたと思うとその作画は一見落ちると思います。
しかし、その技術があるにも関わらず、こういう作品を作ったのかとすれば、ジブリは資本主義に撒かれたビジネス主義ではなく、本当に伝えたいことをその時々に合わせて伝えてくれているのだと思います。
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