映画「わたしはロランス」強烈な葛藤をテーマに効果的な表現で魅せる作風は後を引く 心地の良い映画体験

カナダ
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才の片鱗ではなく、彼の”天才”を決定づける今作。

天才の名を手にする映画監督はたくさん存在するけれど、グザヴィエ・ドランは間違いなくその1人。

LGBTをはじめとする強烈な葛藤をテーマに効果的な表現で魅せる作風は後を引く。

カメラワークに感情を乗せ、音楽でも魅せる圧巻の世界観。

正に、映画という”夢”を魅せられているような2時間半の心地の良い体験。

 

おすすめ度

作品情報

制作年 2012年

制作国 カナダ、フランス

上映時間 168分

ジャンル ドラマ

 

監督

グザヴィエ・ドラン

 

キャスト

メルヴィル・プポー(ロランス・アリア)

スザンヌ・クレマン(フレッド・ベレール)

ナタリー・バイ(ジュリアンヌ・アリア)

 

あらすじ

モントリオールで暮らす国語教師ロランスは、30歳の誕生日に恋人フレッドに重大な告白をする。

突然の告白を受けたそんな彼女のスレッドは非難しながらも、ロランスを失うことを恐る。

その結果、彼の最大の理解者になることを決意するフレッドだったが…。

 

感想・考察

鬼才の映画監督として、その風格を魅せ付けるグザヴィエ・ドラン

天才的な映画監督というのは、確かにたくさん存在する。

「インセプション」や「プレステージ」、「メメント」、「インターテスラー」、「ダークナイト」シリーズのクリストファー・ノーラン。

ドラゴンタトゥーの女」や「ゴーン・ガール」、「セブン」、「ファイト・クラブ」のデビッド・フィンチャー。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」や「パルプ・フィクション」、「レザボア・ドッグス」「キル・ビル」シリーズのクエンティン・タランティーノ。

ビッグ・アイズ」、「ビッグ・フィッシュ」、「シザー・ハンズ」、「チャーリーとチョコレート工場」のティム・バートン。

「2001年宇宙の旅」や「時計じかけのオレンジ」、「アイズ・ワイズ・シャット」、「シャイニング」のスタンリー・キューブリック。

日本人では”世界のクロサワ”として名高い黒澤明(僕と家紋が同じ、どうでも良い)。

これらの監督はあまりにも有名。

 

個人的には、「恋する惑星」や「花様年華」、「マイ・ブルーベリーナイツ」、「ブエノスアイレス」、「天使の涙」、「いますぐ抱きしめたい」の王家衛(ウォン・カーウァイ)が好き。

*見てるけどこちらには書いていないのが多いので近々書きます。

ざっと挙げただけでも、天才と呼ばれる監督は他にもたくさんいらっしゃる。

 

しかし、そもそも僕は”天才”という言葉があまり好きではない。

というのも、どうも天才というと、先天的で神秘的なものとして使われているようで、彼らの努力が軽薄に捉えられている気がしてならないから。

実際、どの監督も経験に裏ずけされている努力の結晶が映画という作品になっている訳で、努力の末に天才の名を手に入れているはずだから、生まれ持った何かではないのではないだろうか。

 

確かに先天的なものというのはあるのだろうけれども、僕はそうではないと思っているし、思いたい。

なのだけれども、今作の監督グザヴィエ・ドランは、僕のこれまで”天才”の考え方を覆すほどに悲しいのか嬉しいのか”天才”の名が否応無しに似合ってしまうのだ。

 

先ほど言ったように、経験に裏付けされたものが天才の名になっているのであるとすれば、グザヴィエ・ドラン監督は明らかに若く、他の映画監督より経験という面では乏しい。

それは、年齢的に明らかだ。

 

それにも関わらず、天才が似合ってしまうのは、先天的なものが、やはりあるのではないのかと認めざるを得ない。

もちろん、彼が努力をしていないとか、そういう意味ではなくて、彼は非常に努力家であるというのも認識している。

 

マイ・マザー」や「トム・アット・ザ・ファーム」、「ある少年の告白」、「Mommy/マミー」そして今作と彼の作品は大体見てきているけれど、どれもこれも天才と感じてしまうのだった。

 

LGBTをはじめとする強烈な葛藤をテーマに効果的な表現で魅せる

グザヴィエ・ドラン監督の特徴としてアーティスティックな作風はもちろん、その中にあるのは、LGBTをはじめとする何らかの強烈な葛藤。

それを技巧的なカメラワークや色使いで際立たせ、効果的な演出にしている。

そして、

アスペクト比を正方形にしたりと、その斬新な方法で観客は画面に釘付けにされ、まさに目を見張るような物語を構築し後を引く。

 

今作であれば、ロランスの主観的な視点でカメラに写し、揺れるカメラが彼(彼女)の心の嘆きを表現しているようだ。

さらに、ロランスを見る人々の視線は軽率で怠惰な感情を表現し、社会というある種の葛藤の最中で揺れる自我と非我との関係性を効果的に写している。

その生々しい社会と自我との間を魅せられる。

 

正に、映画という”夢”を魅せられているような2時間半の心地の良い体験だった。

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