20年の時を超えて姿を現したリバー・フェニックス。
過度な演出はなくキャラクターの素で勝負する。
白人至上主義・核実験に対する隠されたメッセージとはなんだったのか。
作品情報
製作年 2012年
製作国 アメリカ、イギリス、オランダ
上映時間 86分
ジャンル サスペンス
監督
ジョルジュ・シュルイツァー
キャスト
リバー・フェニックス(ボーイ)
ジュディ・デイビス(バフィー)
ジョナサン・プライス(ハリー)
あらすじ
かつてアメリカ西部の砂漠地帯は白人によって奪われ核実験が繰り返されおり、現在は無人の荒野が広がっている。
ある夜、ハリーとバフィーの夫婦は車が故障して立ち往生し、その末一軒の小屋に辿り着く。
そこにはネイティブ・アメリカンの血を引いた青年ボーイが暮らしていた。
妻を亡くして以来、世界の終焉を待ち続けているボーイは、美しいバフィーを一目見て生きる本能を目覚めさせていき、バフィーもまたボーイの妖しく不思議な精神世界に惹かれていき…。
感想・考察
20年の時を超えて姿を現したリバー・フェニックス
ここ最近の話題作といえば「ジョーカー」で、その主演を務めるのがホアキン・フェニックス。そして、彼の兄が今作のボーイを演じるリバー・フェニックスであり、「ジョーカー」経由で鑑賞に至った。リバー・フェニックスといえば、「スタンド・バイ・ミー」が有名で格好良いことには変わりないのだけれど、僕にとって彼は、あどけなさが残る少年の印象が強かった。しかし、今作をはじめとして成長したリバー・フェニックスの姿は格好良すぎる。映画がどうこうというより、もはや、彼が格好良いから、それで良い気がしてしまう。
リバー・フェニックスは23歳という若さで急逝したということで、それが彼を神格化しているようにも思っていた。いうなれば、それが、彼の物語における演出のような効果になっているというか…。実際、彼を伝説的な俳優と言われることも多いようで、そいいった存在に押し上げるのには彼の”死”が大きく、寄与していると思う。
彫刻のように美的なルックスにカリスマ的なオーラは圧巻。
過度な演出はなくキャラクターの素で勝負する
もちろん、”死”によって神格化され伝説的な存在になっているのだと思うのだけれど、単にそういうわけでもなかった。彼が生きていようがいまいが、どちらにしても伝説に相応しい俳優だと感じる。というのも、演技がどうこういうわけではなく、画面の中に彼がいる、それだけで異様な価値がある。演出によって、キャラクターを際立たせるのはよくある方法かもしれないけれど、今作ではそう狙った演出は殆どないように思える。言い換えれば、キャラクターの素性を写した映画で勝負している映画かと。
そういう意味では、映画的に物足りなさを覚えるような気もする。しかし、それ以上にリバー・フェニックスを始めジュディ・デイビス、ジョナサン・プライスの怪演目立だったのではないだろうか。と僕は思う。化粧していないけどもともと綺麗な女性というか、武器を持っていないけどめっちゃ強い戦士というか。よくわからんけども。
白人至上主義・核実験に対する隠されたメッセージ
演出が特にないように、今作は実際それほど物語の中でメッセージを感じることはない。しかし、あらすじを読み進めてから今作について考えてみると揶揄的なメッセージを感じる。
あらすじには「かつてアメリカ西部の砂漠地帯は白人によって奪われ核実験が繰り返されおり、現在は無人の荒野が広がっている。」ということが、先ず記載されている。”白人に”、”奪われ”、”核実験が繰り返され”。これは、明らかに白人至上主義や核実験に対するメッセージだろうと思う。
実際、それに関して具体的に昇華されるシーンはない。けれど、白人至上主義と核実験が行われていた地に住むリバー・フェニックス演じるボーイは、作中で死を遂げる。すると、そういう思想や実験がもたらすのは”死”だということも感じられる。そして、現実でも彼は死を迎える。なんともアイロニカル。そして、なんとの怖い作品。
タイトル「黒い血」の暗示するものは、そういうことだったのかもしれない。