映画「ギルバード・グレイプ」監督・キャスト、あらすじ・感想 優しさには痛みが。そしてアカデミックな問いかけも

優しくするには痛みが伴う。

だから家族とはいえ愛情だけで人に優しくすることは難しい。

周りの支えがあるから優しく出来る。

そんな事を思わせてくれる作品。

商店と大型スーパーのアカデミックな問いかけも見応えがあり。

作品情報

制作年 1993年

制作国 アメリカ

上映時間 117分

ジャンル ドラマ

監督

ラッセ・ハルストレム

キャスト

ジョニー・デップ(ギルバート)

ジュリエット・ルイス(ベッキー)

メアリー・スティーンバージェン(ベティ)

レオナルド・ディカプリオ(アーニー)

あらすじ

小さな田舎町に住むギルバートグレイプは、知的障害のある弟・アーニーを気に掛けながら生活していた。

ギルバートは自分の置かれた環境に閉塞感を感じながらも、トレーラーハウスで旅をするベッキーに惹かれていく。

そんな2人の恋仲や家族の行く末は…。

感想・考察

ディカプリオの変化

今作を見る前は、自分が鑑賞した中でレオナルドディカプリオの最も若い作品は「タイタニック」。

演じているとは言え、今作ではこんなにも無邪気で子供らしく振舞っているのは非常に新鮮。

端正なルックスにクールでいわゆる正統派なイケメン俳優のイメージが付いていたのですが、こんな演技もしていたとは。

時系列に沿って比較すると面白い。

不倫の適正

ギルバートと近所の奥さんの不倫シーンは何だかリアリティあり。

そしてその奥さんの表情や目配せが上手い。

当時のジョニーデップが年の割に色気があるせいでしょうか。

中年の女性には凄くウケそうなルックスにバックグラウンド。

そういう個人それぞれのバックグラウンドの設定も効果的でうまい。

家族構成・設定の感情移入

亡くなった父や、それによって過食で外を出ない母。

それぞれ訳ありの兄弟のバックグラウンドなど。

家族の設定が妙に感情移入してしまい、効果的な設定。

資本主義に対して揶揄的演出をしているにも関わらず映画としては感情移入による集客、ビジネス的側面が入っていてバランスが良い。

母親の死と共に思い入れのある実家のと別れ。

母親を気にかける必要がなくなった家族は新たな道を進み始める。

家を燃やす時はこんな簡単に燃やしていいのか?という疑問も。

周りも自然が豊かなので民間がこんなやり方で良いのかというのは少し違和感を覚えたりなど。

シリアスなシーンにもコミカルに緩める

漸くお母さんが外出できたっていう少し感動的な場面もお母さんが重過ぎて車の片側が陥没。

自然現象ではあるけれどそれも含めて面白い演出。

優しさの代償に

ギルバートの優しさが痛い。

優しさを体現するには痛みが伴うんだなあ。

自分よりも人のことを優先するって難しいし強くないと出来ない。

そして溜まったものが弾けてしまった。

アカデミックな演出 民間の声

田舎の地元商店と大型スーパーを対比しながら説明するシーンでは、そんな資本主義社会の揶揄的な演出や表現が散りばめられていて巧い。

こういう何気無い演出こと制作側が伝えたいことなのでしょうか。掘り過ぎかもしれませんが。

地方都市はどこもかしこも、基本的にはそうです。

自治体が効果的に機能しておらず、集客やビジネスの為に躍起になり大手の企業が地元経済に参入。

もちろん自治体といっても稼ぐ力がないことには話になりませんから、綺麗事を言うつもりもありません。

しかし、それによって地元の企業の力が奪われ地域経済循環率が下がってしまっては、何のための誘致なのかわかりません。

だからシナジーを起こす企業を誘致すべきなんですよね。

この映画でもそうですが古くからの地元商店が客を奪われ、消費者の取り合いになる。

そうしたら大型に地元商店が資金力で勝るはずもありません。

経済的合理性といえばそれまでですが、大切な事は他にあるわけで自治体はそういうところにフォーカスして街づくりをしていかなくらばいけないと思います。

バーガーショップの話もできますが飲食のように商品のプロダクトクオリティで差別化できるビジネスは良いですが、商店のように価格での差別化を図るしかないビジネスはサポートしていかなくてはいけません。

しかし利便性と考えた時に大型スーパーに優位性があるのは間違いないので地方衰退と街づくりは難しいんですね。

そんな事も考えさせてくれる映画でした。

 

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