芸能界で成り上がるための寓話的な映画。
そこにあるのは、方法論ではなくて、自分が上がる。それだけ。
それほどまでに、利己主義的にさせてしまう芸能の怖さ。
女性の怖さ。
ホラー的な怖さはありませんが、心の奥を突かれるような、そんな気持ちになります。
作品情報
制作年 1950年
制作国 アメリカ
上映時間 138分
ジャンル ドラマ
監督
ジョセフ・L・マンキウィッツ
キャスト
ティ・デイヴィス(マーゴ・チャニング)
アン・バクスター(イヴ・ハリントン)
ジョージ・サンダース(アディスン・デウィット)
セレステ・ホルム(カレン)
あらすじ
田舎からやってきた女優志望のイヴは、名女優マーゴに見惚れていた。
ある日、劇作家の妻カレンと出会ったイヴは、マーゴと引き合わせてもらう。
マーゴは自分の大ファンだというイヴを快く思い、住み込みで仕事を与える。
しかし、イヴには別の顔があ理、次第に批評家やマーゴの取り巻きの間に取り入っていくのであった。
ある日の舞台に間に合わなかったマーゴの代役として、イヴは舞台へ出演したことで、批評家から絶賛の声を浴びる事になる。
それを機に、マーゴを踏み台にしたイヴはスターへの階段を駆け上がっていく。
感想・考察
豹変するイヴ
方法論としての是非は語れないが、今作は芸能界でのし上がるための寓話的側面をメインに描かれている。
地道にオーディションを受けて這い上がるのか、制作側に繕いダイレクトに仕事をもらうのか。
言い換えればアナログかデジタルか、のようにも見えてくる。
旧来的な方法で役をもらうのか、現代的な方法で役をもらうのか。
もちろん、イヴは後者であり、実にそれが巧みであった。
その巧みさ故に、恐怖にも感じる。
もともと、イヴは名女優マーゴに憧れの目を向けていたが、物語が進むに連れてイヴは豹変していく。
しかし、イヴは始めからマーゴを蹴落とす狙いがあったのかは、不明瞭。
マーゴと関わるに連れて蹴落とす計画を立て始めたのか、それともはじめからマーゴを蹴落とす算段だったのか。
本質的なイヴの心理はわからない。
どちらにしても芸能界で生き抜くためのイヴの言動は恐怖である。
関わるに連れて想起したのであれば、それも欲に溺れていく姿が、また怖い。
最初からであれば、私欲のために偽り演技していた彼女は、さらに怖い。
しかし、芸能の世界はそれ程甘いものではないということを示唆させる。
少なからず芸能に携わっていた自分としては、身近に”芸能界の恐怖”を感じたこともある。
事務所は基本的に仲介者であるわけだが、タレントと制作が直に関わり仕事になるのは、恐怖である。
というのも、それでは仲介の意、つまりは事務所の存在意義がなくなるからだ。
でも、時代の流れでもあるし事務所のビジネスモデルの終焉ということも示唆させる。
今作では時代的に女優や劇作家とアナログな繋がり、リアルな繋がりから這い上がろうとするわけだが、現代であれば掴みの部分はインターネットで事足りる。
というのも、現代はタレントと制作がダイレクトな関係を持てるから。
SNSで直接依頼があって仕事へ、というのはすでに珍しくもなんともない。
実際に自分はほとんどがそうだった。
そこで、今作はその旧来的なアナログの恐怖が見事に描き出されている。
ラストで示唆させる次なる物語
豹変していくイヴの恐怖を描いている本作であるが、ラストではその連鎖がまた描かれている。
マーゴを踏み台にして地位を獲得していったイヴだったが、ラストシーンでイヴのもとへやって来たのは、イヴがマーゴに取り入った時のように、裏で何を考えているかわからない少女だった。
一度は、マーゴを蹴落として這い上がったイヴだったが、彼女もまた新たな女性に蹴落とされる可能性を秘めているという事が容易に想像できる。
なんにせよ、利己主義にかられ成り上がったても、それは1時だけで継続性がないということを語っている。
マーゴがそうだったように、イヴもまた。それもまた寓話的。