現在、多くの観光客が写真を撮っている「ハチ公像」。
その由来を知っている日本人がどれだけいるだろうか。
かく言う自分も大したことは認識していなかった。
しかし、今作を見て知ることができた。
そして、これこそ映画の持っているパワーだとも沸々と感じた。
「〜人だから〜」なんて古臭い。
けれど、日本人には見て欲しい。
作品情報
制作年 1987年
制作国 日本
上映時間 107分
ジャンル ドラマ
監督
神山征二郎
キャスト
仲代達矢(上野秀次郎)
八千草薫(上野静子)
石野真子(上野千鶴子)
柳葉敏郎(森山積)
あらすじ
秋田県のある家庭で生まれた純粋な秋田犬の誕生報告が、東京の大学教授・上野秀次郎の元へ。
電話をとった一人娘・千鶴子は大喜びの、一方で両親は昔飼っていた犬の死後、動物を飼うことに反対だった。
千鶴子が面倒を見るという条件付きで、ハチと名ずけ犬を飼うことになった上野家。
しかし、千鶴子は妊娠・結婚のために実家を後にし、結局、両親が面倒を見ることに。
懐っこいハチは教授の送り迎えに渋谷駅へ行くことが日課になり、彼もハチを愛でた。
ところが、教授は脳溢血で倒れ帰らぬ人に…。
感想・考察
ロジック抜きの感情論で見れる映画
何気なく目にしているハチ公像だけれども、一体どれだけの人間がその歴史を知っているのだろう。
その歴史を知っていれば良い、知らなければ悪い。
そんな端的な話ではないけれども、一つの教養的存在として「ハチ公」を知って欲しかったりもする。
義務教育の在り方なんかは、これからどんどん変わってくだろう。
2020年の小学生のプログラミング授業導入は、まだまだ始まりに過ぎないし、なんなら、これからは義務教育自体が終焉を迎えるかもしれない。
けれど、まだ20年は先だろう。
そんな風に思っていると10年後には大きく変革を迎えているかもしれない。
そんな今だからこそ、見て欲しい・見るべき映画の一つだと思う。
単にストーリーが秀逸だから。演出が凝っているから。演技が上手いから。とか。
語弊があるけれど、そう言う一種の表面的なものではなくて。
言語化するのが難しい何かを、心に響くパワーを、この映画からは感じる。
僕が「GO」や「フロリダ・プロジェクト」を見たときと同じ感覚。
今や渋谷はもとより世界の人からも知られるハチ公像だけれどもどれだけの人がこの話を知っているのだろうか。
今の自分ができることなんてここを通して紹介するくらいしか出来ないけども、もっと沢山の人にこの映画を見て欲しいし知って欲しいと思うし、自分ももっと早くみて知っておきたかった。
映画という形でこの物語を残してくれたことに感謝。
「人間に人格があるように、犬には犬格がある」
ベタだけれど、印象に残ったのは、やはりこの台詞だった。
法のよって守られる人権、現代社会のキーワード・多様性。
という法や言葉のように、人の格・言い換えれば個性を守るという動きは年々加速している。
そして、それが言葉によって的確に可視化されるようになってきた。
そうすると、やっぱり言葉の持っているパワーは、これまた果てしない。
近年は特に取り上げられることの多い、LGBTに関する作品群なんかは正にそれだ。
「ブエノスアイレス」、「キャロル」、「ムーンライト」、「ある少年の告白」、「ボヘミアン・ラプソディ」、「トム・アット・ザ・ファーム」僕が見たものだと、このあたり。(あとでまたブログの方は書きます。)
以前は、LGBTなんかも現代ほど容認されていなくて、可視化するための言葉がないから、表沙汰にならなかったのかもしれない。
逸れたけれど、人間がこうやって個性が保たれるように、犬格もある。
そして必要だと、作中で上野秀次郎は「人間に人格があるように、犬には犬格がある」と言っている。
現代なら、まだわかる。
大正時代の物語だから、本当にこの言葉をだったのかはわからないけれど。
それでも、映画の公開された1980年代に、こんな言葉を使うことに驚ろくし、何より素敵だと思えた。
大正時代の物語は一味違う 古き良さ
大正時代の物語ということで、言葉遣いも勿論当時のもので聞きにくい反面、言葉はやはり日本の素敵な文化だなあと想起する。
そして、秋田犬は主人に忠実というけれど、それにしても実話とは信じ難いほどに凄みを感じた。
犬にとって時間という概念はあるのか、ないのか。
それにしても時間通りに駅に主人を迎えに行くなんて凄過ぎる。
このアナログ具合が染みる。
言葉はなくても。
ハチには人間の様な言葉も表情もないのに、途轍もなく切なくて情緒的になってしまう。
犬だから言葉がわからず、他の人に何を言われても主人との別れも分からないし、ずっと駅で待ち続けてて、なんだかもう…。
こんなにも忠実なのに人にたらい回しにされてしまって、ましてや馬鹿や食い物を漁る不潔な犬なんて言われて本当に切ない。
ハチは待ちたいだけなのに、それすら許されない様な振る舞いをする人もいて、当時日本で沢山の人が見て涙したのも腑に落ちる。
ラストのハチの視点から撮られたカメラワークも、倒れる瞬間まで駅で待ち続けたハチも、制作側にも、ありがとうございます。と。