SNSでは恒例となっている「バルス祭り」だけれど、これは滅びの言葉であって乱用する言葉ではないはず。
製作側も、この現象を快く思ってはいないだろうと僕は思うけれど、表現の自由なので仕方ない。
「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」では環境汚染をベースに社会問題をダイレクトに明示しているけれど、それを噛み砕いてわかりやすく、言い換えれば娯楽的に映画化にしたのが今作だろう。
なので、製作側のメッセージは、渇望したラピュタのような高貴なものでも人々に危害に危害を加えかねないものは人々のために消滅すべきという苦い想いのことではないのかな。
作品情報
制作年 1986年
制作国 日本
上映時間 124分
ジャンル アニメ
監督
宮崎駿
キャスト
田中真弓(パズー)
横沢啓子(シータ)
初井言榮(ドーラ)
寺田農(ムスカ)
常田富士男(ポムじいさん)
永井一郎(将軍)
糸博(親方)
あらすじ
幻の飛行石を操ることのできるラピュタ族の末裔シータと亡き父の跡を継ぎ天空の城を訪れることを夢見る少年パズー。
運命に導かれた2人は天空の城ラピュタを志すことに。
そんな2人を襲う政府の密命を受けて飛行石を手に入れることを望むラピュタ族の末裔ムスカ大佐と宝を狙う空賊ドーラ一家の物語。
感想・考察
何度見ても楽しめる好奇心を刺激する娯楽作品
もう10回くらいは見ている。映画にそれほど関心のない僕の父親にとっても「天空の城ラピュタ」は特別な作品のようで、好きな映画だと教えてもらって良く一緒に観ていたのでジブリ作品というと今作のイメージが強い。そんなこともありテーマソング「君をのせて」の”父さんが残した熱い想い”というのも、なんだか自分事として腑に落ちたりする。最近、宮崎駿さんの本を手にとってそんなこんなでラピュタの想い出を思い起こしたので再鑑賞。
ジブリ作品というと「風の谷のナウシカ」や「もののけ姫」は名作として知られているけれど、それらは環境問題に対する寓話的な側面を感じる。言い換えると、娯楽という大前提を塗り替えるほどのメッセージや強いパワーを感じる作品だ。厳密にいうと「風の谷ナウシカ」はトップクラフトという他の会社の製作した作品だけれど、ジブリ作品と認識しても良いだろう。それに対して、「天空の城ラピュタ」は娯楽色の強い作品であるに違いない。冒頭でシータが飛行船から落下した直後に流れ出す音楽は心に残るものがあるし、それと並行して流れる女神様の息吹や無数の飛行船、天空の城達はファンタジック。好奇心を刺激する音楽に冒険心を誘発するグラフィックはジブリ作品でも特に際立っていて、オープニングから楽しい映画体験になる。
他にもコミカルな演出が観客を楽しませてくれる。特にドーラ一家の楽しさは他のジブリ作品にはないものがある。パズーの親方とドーラの息子たちの戦いは何度見ても面白く、筋肉で服を吹き飛ばすシーンは何回見ても笑ってしまう。敵から逃げる際に息子たちを置き去りにするほどのママのパワフルな走りも圧巻だ。「女は度胸だ。」というドーラの言葉は正直よくわからないけど、彼女がいうと成る程となる。そして、カラフルな煙幕で目くらましをさせシータ救出もワクワクするし、シータに対する息子たちの会話もまた。「お前プディング作れるか?俺ミースミートパイが好きなんだ!俺ねえ俺は何でも食う!」というシータとパズーが乗船すると決まった時の息子達の喜びは、どこか子供のようなリアクションで愛らしい。
バルスの意味とそのメッセージ
パズーやシータの敵として描かれる軍隊は本来善い行いをしている。というのも、天空の城が浮遊しているとすれば人にとって危険なので調査する必要があり協力しろというからだ。それが地上に暮らす人々の脅威になることは間違いないし一種の社会問題として扱う必要があるのは明白。なので一概に彼らは敵や悪とも言えなかったりする。
しかし、天空の城に着いた途端に金品を物色する軍隊の姿は愚行として描かれるし、豹変したムスカはラピュタをコントロールするためにラピュタの深部へ真っ先に向かうので、どっちつかずだ。ここでのメッセージがあるとすれば、金品をはじめとする価値のあるものを前にした人の目は昏み、欲をむき出しにしてしまうということだろうか。
そして、僕が最も気になる点が「バルス」の乱用であり「バルス祭り」と呼ばれる現象。本来これは滅びの言葉であって適当に使う言葉ではないと作中では描かれている。それは、パズーとシータは覚悟を決め全てを終えるためにこの言葉を使う訳だし、本来パズーは父の想いをついでラピュタを渇望していたのだから、それを消滅させることほど心苦しいことはないはず。製作側はどれだけ望んだものでも、それによって人々を破滅の道へ誘うものであれば消滅させる必要があるということを示しているのではないだろうか。パズーとシータの覚悟を込めた言葉なのだから、そう簡単に使うものでもない気がしている。表現の自由なのでなんでもいいのだけれど。