見方によっては息子というハンデとも言える所在に女性であるという性的側面。
そして其処に垣間見れる男という性を惹きつける一種のエロティシズムでありフェティシズム。
見所は秀逸なカメラワーク。
言葉も少なめで抽象的ではありますが非常に好きな映画。
作品情報
制作年 2005年
制作国 韓国
上映時間 109分
ジャンル ドラマ
監督
チャン・リュル
キャスト
リュ・ヨンヒ
キム・パク
ジュ・グァンヒョン
ワン・トンフィ
あらすじ
タイトル通りキムチを売るシングルマザーのスンヒは息子と2人暮し。
中国籍韓国人である朝鮮族の彼女は、同じ朝鮮族で既婚のキムと恋仲になるが裏切られ汚名を着せられることに。
遂には警察に連行されてしまう。
感想・考察
タイトルのキャッチー
タイトルに妙に惹かれ鑑賞です。
自分の場合、こんなタイトルなら取り敢えず一度手に取りたくなります。
でもどうもこのタイトリングはB級感があります。
しかし一度置いたにも関わらず、もう一度手に取り借りようと。
最近B級感のある作品は遠ざけてしまう傾向にあったので、そういう意味でも久々にその類を催す作品を見てみようかと。
ハングル文字のパワー
何の変哲もないオープニングクレジットではあるんですが、黒背景に白地のハングルって何処かで力強さを感じます。
異臭を放つと言いますか、何処か重苦しく儚いような。
どちらかといえばやはりネガティブなパワーを。
祖国の分離から見えるもの
ハングルの勉強をさせるシーンには、国家による人権無視とも取れる政策であり重たいメッセージを感じます。
古い歌ですが、フォーククルセダーズの「イムジン河」にもあるように正に「誰が祖国を2つに分けてしまったの」という歌詞が腑に落ちます。
歌詞では自由の使者としての鳥を投影していますが、自由である事の希望であり皮肉の対象として鳥を捉えているようにも聞こえるので少し怖さを覚えます。
ゆるりと流れるメロディは本当に心地よいのですが、其処に乗せられたメッセージには何とも言えない重みを感じます。
とは言え非常に素敵な歌です。
この歌も実は映画から知ったもので「パッチギ!」で流れていました。
この映画も好きな映画の1つで在日関係の物だと「GO」も含みます。
この映画も含めて、こららの国境問題を扱った作品にはハズレがありませんでした。
こんなレビューを書いている時にもイムジン河を聴きながら書いております。
カメラワークにみる視覚効果
グザヴィエドランの「mummy」ではスクエアのアスペクト比で人物の内面にフォーカスする撮り方で人物の葛藤やら心情というものが効果的な映し出されていました。
こちらは逆で画面を大きくとって、その中にポツンと人物を置く撮り方。
それによって脱力感や閉塞感を効果的に映します。
カメラワークと演出で正に 魅せて くれます。
ものづくりの日本
住居の簡素な作りも単に物的であると言うよりは、其処に込められた無常でやり場の無いスンヒの思いが込められているようです。
この映画で描かれているのは、勿論日本ではありません。
すると八百万の神では無いので物的に想いが込められたと言うのも矛盾になりますが、何か其処には宿っているように見えるのです。
俯瞰すれば自分のこの感情は日本的なのでしょう。
建物だとカラオケに水道が付いているのには驚きました。
海外の個人商店に学ぶ副業解禁
台湾に先日行った時にも感じた事ですが、こちやも個人商売の文化が色濃く写してあります。キムチを売る女というのも正にそれで、今もこの流れは変わりません。
しかしこの個人商売のスキームというのは非常に合理的なんですよね。
今日本が幾ら副業解禁やらフリーランス化を推し進めているとはいえ、まだまだ大衆的に見れば小さいです。
しかし、この映画の様に個人商売の文化が有れば個人は勿論、国としても豊かになり易いんですよね。
だから経済停滞が進む日本でもこの副業解禁というのは推し進められるわけです。
韓国あたりの国で個人事業主向けのサービスなんか展開したらずいぶんマネタイズできると思うんですよね。
財務管理の視点からもポテンシャルあると思います。
男の利己主義的な弱さ
欲のままにスンヒに群がる男たちの欲望を揶揄的に表現しており、更にはそれによって不倫関係が危ぶまれるとスンヒを盾に自分を守る。
この男の姿というのは果てし無くだらしがなく利己主義で男尊女卑を手に取る様なネガティブ要因しか有りません。
一言で表現すればださい男。です。
存在意義の明示
あまり言葉が多い映画では無いですが、「ニワトリのオスは朝起こすし、メスは卵を産む。肉は美味しい」当たり前なんですが成る程。
ここから分かるのはニワトリで比喩していますが、人も誰もが存在意義を持っているということでは無いでしょうか。
それを信じてスンヒやスンヒの周りの女性に訴えかけて守っていた様にも思えます。
利己主義とモラルの狭間
あくまで映画の中の演技なので人格否定をしている訳ではありません。
不倫相手のキムですが、本当にビジュアルが冴えない男すぎて性格も捻じ曲がり。
上手い演技といえばその通りですが、リアルでも自分の欲によって引き起こした問題を利己主義的にしか解決できない、こういう中年オヤジは沢山いるでしょう。
利他主義になれとも良い人になれとも良い顔をしろとも思いませんがモラルは持ちたいものです。
いつか飲みましょう!ほどあてにならない言葉はない
日本で、いつか飲みましょう!的な いつか 程宛にならない言葉もありません。
幻冬社の見城徹さんも仰っていました。
だからその場で次の予定を決めろと。
必要がないならいつか〜なんていうもんでもありません。
自分もそう言う表面的なコミュニケーションは苦手です。
個性なので悪いとは思いません。劇中では「いつか教えて」「いつにします?」というスンヒ。
良い意味で積極的です。
普遍的なエロティシズム
スンヒも不倫相手も登場人物がビジュアル的に冴えません。
非常に良い意味です。この冴えない感じがエロティシズムなんでしょう。
イケメン俳優や流行の女優がこのテーマをやっても、其処にこれ程特異性のあるエロティシズムは生まれません。
カメラワークにみるメッセージ性
先述した様に人物全体をポツンと捉えるのがこの映画の特徴ですが、最初のカットからどんどん近づく、または遠ざかる。
その時々の演出の仕方で人物に対する心情の変化も伺えます。
例えば息子がネガティブな感情で母親から離れるのであれば息子は背を向けどんどんと離れて行く。
色々とテーマはあり、極めてメッセージ性の高い映画だと思います。
特質すべきはやはりカメラワークを含めたアーティスティックでメッセージ性の高い映像。所謂映像美とはまた違いますが趣があってとても好みです。
葛藤からの解放と昇華
ラストのスンヒの後ろ姿を捉えた長いカット。
やり場の無い思いを兎に角何処か遠くへ持ち去りたいと投げていている様でした。
そして草原へ。解放と昇華です。