映画「たかが世界の終わり」監督・キャスト、あらすじ・感想 卓越した音楽とサスペンスが引き込む

「Mommy/マミー」や「わたしはロランス」でグザヴィエ・ドランが見せてくれたセンセーショナルは何処へいったのか。

しかし、他に類を見ない卓越した音楽とサスペンスは疲労感を催すほど観客を引き込む。

作品情報

製作年 2016年

製作国 カナダ、フランス

上映時間 99分

ジャンル ドラマ

監督

グザヴィエ・ドラン

キャスト

スパー・ウリエル(ルイ)

レア・セドゥー(シュザン)

マリオン・コティヤール(カトリーヌ)

バンサン・カッセル(アントワーヌ)

ナタリー・バイ(マルティーヌ)

あらすじ

若手作家のルイは自分の死期を知らせるため、疎遠だった母や兄夫婦、妹が暮らす故郷へ帰ってくる。

しかし家族と他愛のない会話を交わすうちに、告白するタイミングを失ったルイは…。

感想・考察

グザヴィエ・ドランが見せてくれたセンセーショナルは何処へ

グザヴィエ・ドラン監督作品が僕を引き込む要素は無数にある。その中でも、アーティスティックな演出、センセーショナルで繊細な人間模様、20代という若い目から切り取ったメッセージ性、映画そのものを俯瞰しているような大局観。そんなあたりを挙げたい。そして、彼の作品の中でも、「Mommy/マミー」は僕にとって特別な存在で、1対1のアスペクト比、ファンタジックなバックグラウンドの中に生きるデリケートな少年の姿、彼を取り巻く人々の機微は、もはや革命的だった。その斬新な発想はもちろん、映画という枠に収まりきらないほどの強固なメッセージは、僕の映画体験の中でもトップクラスの衝撃でもあった。

そういう意味で彼の監督作品を考えると2014年の「Mommy/マミー」の次回作が、2016年の今作だっただけに、それほど刺激的な作品ではなかったのも正直なところではあった。もちろん、今作が一種の驚異的な作品であることは間違いない。例えば、僕にとって今作が初のグザヴィエ・ドラン作品であれば、間違いなく度胆を抜く作品だと感じることになったのも明白だ。しかし、僕は2014〜2016年という2年という時の中で、彼のもっと衝撃的な”何か”を期待してしまったのだろう。もっと心をつくような何か。それはストーリーかもしれないし、演出かもしれないし、メッセージかもしれないしわからない。けれど、大きな期待を寄せていたのは間違いない。もちろん、今作に否定的なわけでもない。

だから、グザヴィエ・ドラン監督作品を初めて見る方には今作を大いにおすすめできる。けれど、「Mommy/マミー」や「わたしはロランス」を見たことがある方には、裏切られるような感覚を覚えてしまう作品になるかもしれない。とは言っても、どちらかといえば僕は今作に肯定的であり、言い換えれば、それらの作品群が飛び抜けていただけということにもなる。矛盾になるけれど、他の視点を持てば今作の衝撃性もまた飛び抜けており映画祭を包んだ所以も腑に落ちた。

卓越した音楽とサスペンスは疲労感を催すほど観客を引き込む

他の作品の方が…。ということを散々言ってしまったが、今作は他の作品と比べ、卓越した音楽性を感じたことは間違いない。音楽を蔑ろにしているという意味ではないのだけれど、ただ僕にとって映画を構成する要素の中では、音楽の優先度がそれほではないのかもしれない。だから、彼の作品というと他の作品を想起してしまうのかもしれないのだけれど、中でも「恋のマイアヒ」を挿入したのは驚きだった。

そして、最も僕が驚いたのが他のグザヴィエ・ドラン作品からはあまり感じることができなかった、サスペンスチックな視点。もちろん、他の「トム・アット・ザ・ファーム」にはサスペンスチックなものを感じたが、あくまでもドラマという軸にサスペンスを上乗せしたに過ぎなかった。

しかし、今作の肝はサスペンスであったように思う。主人公・ルイは”死を告げる”という目的で故郷を訪れ、親や兄、妹といった肉親にそれを伝えるために来たはずが、そのことを達成できずに時間が過ぎてゆく。物語が進行しても一向に伝えることが出来ないルイはわだかまりを感じているが、それが一気に拓ける。しかも、ルイの本当の悟ったかに見えたのは肉親でもない意外な人物だった。このシーンで今作の高揚は一気に加速する。

それでも、結果的に救いのないかに見えるルイの心理状態を見れば、もはや観客に疲労感を催す。実際、難解でいわゆる”映画通”が好きそうな作品かもしれない。僕は映画の専門家でもなく、単に映画が好きなだけだけれど、ここまで映画をみて疲労感を与えるというのは、映画の中に観客を引き込むエネルギーがやはり彼の作品にはあるのだろうと思わざるを得ない。

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