映画業以外もパワフルなウディ・アレンは問題に沙汰になることも多い。
養女への性的虐待やAmazonとの問題。
ドストエフスキーの「罪と罰」を引用しているのは、そんな自分への当てつけなのかもしれない。
また、主人公が不倫という罪を背負うのもスカーレット・ヨハンソンが相手では納得してしまう。
タイトルの「マッチポイント」の込められた意味も面白く感じたりする。
作品情報
制作年 2005年
制作国 イギリス
上映時間 124分
ジャンル サスペンス、ドラマ
監督
ウッディ・アレン
キャスト
ジョナサン・リース=マイヤーズ(クリス・ウィルトン)
スカーレット・ヨハンソン(ノラ・ライス)
エミリー・モーティマー(クロエ・ヒューイット・ウィルトン)
ブライアン・コックス(アレックス・ヒューイット)
ペネロープ・ウィルトン(エレノア・ヒューイット)
マシュー・グード(トム・ヒューイット)
あらすじ
舞台はイギリス・ロンドン。
野心家の元プロテニス・プレイヤーのクリスは大金持ちの息子トムと親しくなり、彼の妹クロエと付き合うようになる。
ある日、トムの別荘に招かれたクリスは、トムの婚約者であるノラと出会い関係を持ってしまう。
ノラを忘れられずにいるも、クリスは上流階級への道を選びクロエと結婚。
しかし、偶然ノラと再会し、再び関係を持ち始めてしまい、欲望と野望の狭間で、クリスの想いは激しく揺れ動く…。
感想・考察
映画業以外もパワフルなウディ・アレン
ウディ・アレンといえば生きる伝説的映画監督。
現在83歳という年齢にも関わらず、今尚映画を撮り続けている。
映画を見ていると制作側というのは本当に大変なんだろうな、とつくづく思うので、それを83歳でやっているとなると、そのエネルギッシュな姿は驚異である。
作品でいえば、「ミッドナイト・イン・パリ」や「マンハッタン」、「おいしい生活」はあまりに有名で、それ以外にもたくさんの作品を撮っている。
しかし、そんな彼は映画以外にも、Amazonとの騒動・幼女への性的虐待が問題になっている。
Amazonは今でこそ世界最大規模のプラットフォームを展開し、映画でいえばAmazonプライムは有名で、僕自身もよく利用させてもらっている。
Amazonが映画産業に乗り出し配給を行うことになり間もない2014年、彼はAmazonから資金的な援助を受けており、その作品の撮影が終了した直後になんと7歳の養女への性的虐待で問題になった。
また、それ以外の未成年女性に対しても関係を持ったと公にされている。
映画監督として名高いウディ・アレンだが、それ以外の面もパワフルであるようだし、長生きや映画作りのエネルギーはそんなところからもきているのかもしれないなどと思ったりした。
今作は大体の男性なら目を引くスカーレット・ヨハンソンが物語の軸になっている。
素敵な女優はたくさん存在するけれど、今作を見て彼女は別格だと感じた。
僕が制作側であんな女性が現場にいたら、制作どころではない。
しかし、ウディ・アレンはそうでもないのだろう。なんせロリコン的だから。そして身長も160cmと小柄なのがいい。知らんけど。
冒頭ではドストエフスキーの「罪と罰」を引用
まず、今作で目を引いたのは冒頭でクリスが、ドストエフスキーの「罪と罰」を読むシーン。
これが、抽象的ではあるものの物語のポイントになっている。
というのも、物語の構成が「罪と罰」に非常に類似しており、ある信念に基づき殺人を犯した主人公は罪悪感に苛まれるという設定も被るから。
ドストエフスキーの作品は難解でありながら、その作風は高い評価を得ていて、僕自身そう感じた。
しかし、映画という2時間に拘束されることで比較的容易にそのメッセージを感じることができる。
そんな映画の”作り”にも注目で、ドストエフスキー的なメッセージを残す、哲学的であり教養的な映画。
クリスの不倫も納得してしまう
モラル的にも法的なこともあり不倫といえば、ネガである。
それは誰もが植え付けられている、というか守るべきものなのかもしれない。
しかし、スカーレットヨハンソンは異様に綺麗でフェロモンが凄い。
すると、主人公の不倫も納得してしまう。
「罪と罰」ではラスコーリニコフという聡明な青年が罪を犯すわけだが、それをクリスに置き換えて今作の物語は進む。
これは様々な戒律に包括されている現代社会の比喩であったり、人間は”野望と欲望に塗れた存在”だということを示唆させてくれるのかもしれない。
さらに、今思えば問題を抱えるウディ・アレン自身の戒め的な作りにも見える。
タイトルに込められたマッチポイントの意味
マッチポイントは、試合の勝敗を分ける最後の得点のことだが、それをタイトルにしていのも面白い。
試合中のセットポイントではなくて、”最後の”というのがシビアである。
そもそも、クリスが初めて犯した罪の段階で全ては決まっていたとう意味なのかもしれない。
これは比較的物語の序盤なわけなので、この映画の結末も初めから決まっていたという意味だ。
しかし、現実世界は思ったよりもそうでもなくて、一度ミスっても大体どうにかなる。
僕の場合、多くの失敗をしてきたけれど、なんだかんだでどうにか生きてはいる。
今後もたくさん失敗するのは安易に想像がつくが、その度に学びがあるから、最近は失敗前提の見切り発車である。なんてことも想わせせてくれた。