映画「モダン・タイムス」監督・キャスト、あらすじ・感想 機械化社会へ楔を刺すシニシズム 喜劇王チャップリンワールド

映画「モダン・タイムス」監督・キャスト、あらすじ・感想 機械化社会へ楔を刺すシニシズム 喜劇王チャップリンワールド

映画の大前提が娯楽であるとすれば、非常に映画的な作品でした。単純にめちゃくちゃに面白い。

チャップリンの代名詞となっている「喜劇王」。その名は伊達ではありませんでした。

そして機械化に対する揶揄を込めて。

作品情報

制作年 1936年

制作国 アメリカ

上映時間 87分

ジャンル ドラマ、コメディ

監督

チャールズ・チャップリン

キャスト

チャールズ・チャップリン

ポーレット・ゴダード

ヘンリー・バーグマン

チェスター・コンクリン

あらすじ

工場で働くチャーリーは単調な作業の繰り返しで気がおかしくなり大暴れの末に病院送りに。

完治したものの仕事はなくなり、医者に興奮は禁物と釘を刺される。

ある日、彼が街を歩いていると暴動に巻き込まれ、暴動の主犯格と勘違いされ投獄されてしまう…。

感想・考察

インフルエンサー的チャップリン

”チャーリー”の愛称で親しまれるチャールズ・チャップリンは、イギリス出身の映画俳優、映画監督、コメディアン、脚本家、映画プロデューサー、作曲家であります。ちょび髭に山高帽はお馴染みのトレードマーク。そしてタイトなジャケットにワイドスラックス、ブカブカの革靴を身にまとい、ステッキをつきながらヨタヨタ歩きは誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

かくいう自分は、彼が監督ということを知らなかった訳ですが、今作での彼の姿は随分と衝撃的でした。80年も前にこれを全て自分で行なったのかと思うと相当なものがあります。

近年はメディアに散見されるインフルエンサーやファッション・カルチャーアイコンとして活動されている方も多くなりましたが、彼のアイコニックなヴィジュアルは正に現代のインフルエンサー的であり”王”の所以も腑に落ちる訳です。

彼の演技力には、本当に引き込まれます。ネジの締め作業で精神がやられる訳ですが、ネジ締めもそれによるサイコパシーな演技も、無音のための正に全身勢霊的な演技も、神業です。そして単に演技がうまいというのではなく小柄なヴィジュアルに加えて少年のようなイタズラ心が妙に心を掴んで離さないのです。そう思えば、人を喜ばせたいという思いが最重要であってアートはツールではないのだなあと。

娯楽性と社会性のバランス

彼の作品は今作が初鑑賞になった訳ですが、チャップリン劇場・チャップリンワールドな作風が全開でめちゃくちゃ面白い…。娯楽としての秀逸すぎる…。80年以上も前にこの完成度…。サイレントにも関わらず…。

今作とは、対象的な映画として社会派的な社会を映す鏡として機能する映画もある訳です。先日の「フロリダ・プロジェクト」は、正に現代社会の揶揄を、映画という媒体で表現していました。一種のアート作品である映画としての製作に優越のつけられるものではありませんし、社会的な作品をメインに見てきた訳なのですが、映画の本質、つまり娯楽として映画を考えれば、本来はこうあって欲しいものかもしれません。

端的に鑑賞すれば、単に”面白い”映画に他ならない訳ですし、娯楽的要素が非常に映画です。しかし、冒頭の豚の演出と地下鉄から出てくる労働者のメタファーが、時にして数秒ですが、一層社会性のある描写として重みを増してきます。そういう意味では非常にインパクトがありますし、バランスが取れているとも思えるのです。

今見ても今作のコミカルな描写は、なんとも心地よく、心に堆積してくれます。そう思えば、今も昔も、恐らくこれからも変わらないものというのは、こういうコミカルな価値なのでしょう。

機械化のメタファーとして

「人間の機械化に反対して個人の幸福を求める物語」というのが今作の冒頭のコピーです。娯楽的要素をふんだんに含みつつも締まりがあるのは、このように冒頭で釘を刺している(くれている)効果によるものかもしれません。

今作の娯楽性を抜きしにて考えてみると、資本主義・機械化社会批判、文明への警鐘とも、比喩される今作であります。その描写は注目すべき点ですが、単なる批判ではなく、最終的な帰路はロマンスでもあるのが平穏に繋がってくるので、締まりが良い映画にもなっています。

機械化の揶揄として表現されている作品には、最近見た作品だと、リアリズムな社会を描いた「ガタカ」があります。作風は全く異なりシリアスですが、こちらも言い換えれば、近代版”モダンタイムス”に他なりません。そして、テーマに関してはテクノロジーの台頭した社会の是非というのを今作同様に表現しています。当時SFとして描かれた作品も今見ると、もはや現代主義的に見えるのが数年前のSFを見ると面白い点です。

彼にとってのモダンは紛れもなく、この1930年代な訳ですが、社会のメタファーとして機械化の批判という同様のテーマで現代でも描けるのは、本来少し悲しい気もします。そう思えばいつの時代も人間は間違いを犯し、それは普遍であるということも感じます。

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