映画「タクシー・ドライバー」監督・キャスト、あらすじ・感想 ベトナム戦争は社会の罪か 

アメリカン・ニューシネマの代表作。

ベトナム戦争帰還兵の心に負った傷が巻き起こす惨事が描かれる。

惨事といっても、それは政治が巻き起こした社会全体の罪なのかも知れない。

そういう意味で今作は社会派メディアだと思える。

そして、寓話的な物語でもあると。

作品情報

製作年 1976年

製作国 アメリカ

上映時間 114分

ジャンル サスペンス、クライム、スリラー

監督

マーティン・スコセッシ

キャスト

ロバート・デ・ニーロ(トラビス)

シビル・シェパード(ベッツィ)

あらすじ

タクシードライバーとして働くは戦争で心に深い傷を負った帰還兵のトラビス。

彼は次第に孤独な人間へと変貌していく。

汚れきった都会、ひとりの女への叶わぬ想い。

日々のフラストレーションが14歳の売春婦との出逢いをきっかけに…。

感想・考察

戦争の後も変わらない日常

”アメリカン・ニューシネマ”の代表作といえば「イージー・ライダー」であるけれど、それと並ぶのが今作。反体制的な若年層の代弁者として主人公を立てる作風は、まさに今作もアメリカン・ニューシネマ的な作りだ。

ベトナム戦争帰還兵のトラビスの視点から、排他的で不浄な街を見ていくと、そこに写っているのは、不透明な政治を行うであろう大統領。その選挙を行うための事務所で嫌々働く女性。そんな政治・社会が生んだ12歳という若さで家出をし娼婦として暮らす少女。これら全てに苛立ちを感じるトラビスだが、彼の感情は途方もなく、遣る瀬無い。

なぜ遣る瀬無くさせるのかといえば、彼は帰還兵で夜も眠れず生活のために働き続けるのに対して、彼を取り巻く街は普遍的で何の変哲も無く回っているからだ。そして、彼自身も実は”タクシードライバー”として、その街の経済を回す1人の労働者というのが矛盾でもある。しかし、実際のところ彼がいてもいなくても街の不浄は変わらない。そんな街を浄化させるために彼はある計画を立てることになる。

そして、彼の時折見せるアイロニカルな微笑は、そんなどうしようもない世界を観客に想起させ、物語るには十分すぎる程の効果を放っている。口では言わずとも呆れたような彼の微笑からは、役者としての演技の垣根を超えた物を感じる。ベトナム戦争をはじめとして社会への葛藤を抱え込んだ彼の演技には感嘆。それだけベトナム戦争がもたらした影響は大きく、映画を通して後世に継がれているのだということも示唆させる。

糸が切れた人間の末路

トラビスの”計画”はあくまでも計画なので、瞬間的な出来事では無い。なのだけれど、どっち道彼の末路は変わらなかったのだろう。その計画をあのタイミングで実行しなかったとしても、近いうちに彼は同じ末路を辿っていたはずだ。というのも、彼の見ている街が普遍的で変わらないように、彼のベトナム戦争での心の傷も変わることを知らないからだ。というより、変えることができないといった方が適切かも知れない。

計画が始まった後の彼の言動は、まさに豹変に相応しい。映画ということで丸く収まるようにも見えるけれど、これは近年の日本でもよく見られるような現象で、僕は今作を見てまず、「京アニの事件」を思い出した。あの事件も社会への遣る瀬無さが生んだ・生んでしまったのだろうと思うし、バックグラウンドが今作のトラビスと妙に近い。京アニの事件も日本社会の抱える闇に対して、それに反体制的な人間の鬱憤が巻き起こしたことに他ならないし、トラビスもそうだ。

そう思えば、このトラビス的な社会への葛藤を犯罪で表現してしまう人間は、日本にも数えきれないほどいると思う。これも結果的に資本主義社会の生んだ惨事であるけれど、そういう意味で今作は社会派メディアだと思える。そして、寓話的な物語でもあると。

そして、トラビスは間違いなく犯罪者に変わりは無いのだけれど、ベトナム戦争がなかったらトラビスはこういった末路を迎えたのだろうか。僕はそうでは無いと思う。すると、トラビスをこうさせたのは政治や社会である、政治や社会を構成する人々の罪でもあると思える。トラビスはそれをたった一人で代弁した。