グザヴィエ・ドラン監督作品を全て見てみると、そこから感じるのは彼の世界観なのか、陶酔感なのか、という疑念を抱くようになった。
抽象化することでアーティファクトを引き出す彼の作風はどの作品においても圧巻。
作品情報
製作年 2010年
製作国 カナダ
上映時間 102分
ジャンル ドラマ
監督
グザヴィエ・ドラン
キャスト
モニア・ショクリ(ニコラ)
ニールス・シュナイダー(マリー)
グザヴィエ・ドラン(フランシス)
あらすじ
ゲイの青年フランシスとストレートの女性マリーは親友同士だった。
しかし、ある日パーティで出会った美青年ニコラに同時に一目ぼれしてしまう。
本心とは裏腹にニコラの悪口を言ってみたり、ニコラの思わせぶりな態度に期待を抱いたりと、切ない恋心を募らせていく2人だったが…。
感想・考察
グザヴィエ・ドランから感じるのは世界観なのか、陶酔感なのか
一作目でカンヌ国際映画祭三冠獲得し鮮烈なデビュー。その後も作品公開のたびに「若きカリスマ」「美しき天才」などなど、絶賛を集めるグザヴィエ・ドラン監督の長編第二作。彼の作品は多くの方が高い評価をしているように、僕自身も異様なエネルギーを感じているのは確かで、好きな映画監督をあげればトップ5には入ってくる。
「マイ・マザー」「わたしはロランス」「Mommy/マミー」「たかが世界の終わり」と監督作品を全て見てきて、彼の映画は、よく言えば「世界観」を味わうことができ、違う視点で見れば「陶酔感」の強い映画だと思えてくる。というのも、アーティスティックな作風からグザヴィエ・ドランワールドを感じるから。その一方で彼の作品はLGBTをはじめとして社会的マイノリティの主人公を軸に、そこにある葛藤や偏見といった人間模様をドラマチックに描き出しているのだけれど、テーマが寄り過ぎている。それご陶酔にも思えるから。もちろん、彼が映画を通して表現したいことに、とやかく言う気はないのだけれども、もっと他のテーマも見てみたいと思うのが正直なところ。
実際、今作もゲイのフランシスをグザヴィエ・ドラン自らが演じておりLGBTといった社会的マイノリティに対して自らの言動でメッセージを投げているようにも感じた。映画は現実社会を映し出す鏡としての効果を持っていると感じることが多く、それはいわゆる社会派と言われる。しかし、この映画の中にあるのはグザヴィエ・ドランを映し出す鏡としての機能。社会派とは対照的で”個人派”(そんな言葉は倍ないけれど)的な映画だと感じる。彼自身がゲイであると公表しているというのも、またそうさせる。すると、実際彼の映画は、映画というより彼の陶酔感を味わう作品なのかもしれない。もちろん、良い意味で。
抽象化することでアーティファクトを引き出す
グザヴィエ・ドラン作品はどれもこれもアーティスティックな作風が視覚的にも聴覚的にも楽しく、それは彼のセンスと代替される。今作でも鮮やかな色使いや思いもよらぬ演出、起伏をより高揚させる音楽は彼のセンスを感じられずには居られない。さらに、そのセンスは一見抽象的に感じるものの、実は計算し尽くされていて彼が様々な物事からインスピレーションを受けていることがわかる。つまり、彼のセンスの良さからは彼が勉強熱心なことがよくわかる。すると、個人的にはセンスと一括りにしてしまうのは、少々もったいないような、というより酷いような気もしている。さらに、カリスマや天才と称されるグザヴィエ・ドランだけれども単にそう呼ぶのはふさわしくないと思ってしまう。というのも、センスは時間・労力をかけてたくさんのインプットをして、そこからようやく醸造される賜物だと思っているし、彼の努力を台無しにしてしまうような言葉にも思えてしまうからだ。
彼の演出を眺めると、実はそこからメッセージを感じることが難しい。それは彼のセンスが抽象的だからであるけれど、それはアーティスティックな演出だと言われるし僕もそう思う。だから、一見意味のないような抽象的な演出が、彼の作品をアーティスティックにさせるのだろう。実際、映画に限らずアートの世界は抽象的で正直意味がわからない。でも、それがアートだと言われるという矛盾だったりする。また、映画が非現実の虚構を見せてくれるものであるとすれば、彼の抽象的でアーティスティックな演出の数々は異様に映画的なのかもしれない。