世界初の映画。YouTubeで見れます。
1895年にフランスのリュミエール兄弟が制作した此方はタイトルの通り工場の出口から人が出てくるだけ、という作品。
作品情報
制作年 1895年
制作国 フランス
上映時間 1分
ジャンル ドキュメンタリー
監督
ルイス・リュミエール
キャスト
あらすじ
工場から人が出てくる。
感想・考察
映画といえば、本来は
私たちが一般的に認識している映画といえば、音があって色があって演出があって脚本があって無数の要素から成る訳ですが、此れは今で言えばらただの映像でしょう。
スマホを1人一台持つことが当然になった現代において、子供が撮る動画よりも要素が少ない、謂わば薄い映像かも知れません。
意図的でないにしろ、素人でも誰でもスマホで動画を取れば、色もあって音もあって、この作品よりは一般論で言う所の映画的な作品には成るからです。
しかしながら、此れが映画の始まりと思えば感慨深いものでもあります。
そう思えば、テクノロジーの台頭、隆盛と言うのは本当に大変な事で、どれだけ現代がテクノロジーに依存的か、ポジティブに言えば、どれだけその恩恵を受け豊かなになったのかということが分かります。
カメラ認識と役者の意味
映画といえば役者がいて、その役者を写す事が1つの要点であると思われますが、この映画の面白いところは誰もカメラを観ていないことです。
というよりはカメラという其れを認識していない、認識出来ていないのかも知れません。
そんな文化的背景を感じると、より今の映画の凄みというか完成度、映画というメディアとしての容認が大衆化されている。
だから文化とか歴史とか、経験の蓄積がもたらすものは価値があるんですね。
映画的な付加価値
1895年から現代というと124年ほど。
映画が1つのアートであるとすればアートの中で限りなく若い存在です。
逆説的ですが、創造物であればアートと呼んで良いと思うので、アートと定義付けられるものには限りがないと思われます。
映画は一般的に言われる音楽や絵や何やらというものよりは遥かに歴史が浅い、浅いということはこれからも開拓のポテンシャルがあるとも言えるのでしょう。
しかし、紙芝居がほとんどなくなったよう、新聞やテレビなんかのメディアも次々に淘汰され代替されています。
そこで映画が何故残っているかと言えば、限りなくアートと定義するのに適しているからなのではないかとも思います。
かなり主観的な定義ですが、それらは情報伝達のメディアであって娯楽であってという側面にフォーカスされていますが、そこで価値を持つのが制作側が付加価値をつけた映像なんですね。
だから付加価値をつけることのできない、単なる情報伝達媒体というのは淘汰されます。
企画の重要性と情報媒体のあり方
先日見たサッカー番組で、いつもはその番組内で企画があってそれに沿ってサッカーを映したり語らうので楽しい、つまり娯楽性のある情報伝達のメディアとして機能しています。しかし先日の放送は全くもってつまらない、つまり娯楽性がない番組でした。
というのも単にハイライトを集めただけの番組になっていたからです。
これでは素人が見どころを編集して、まとめた動画と相違ありません。
するとそのテレビ、はたまた番組は付加価値をつけられていない訳です。
言いたいことは企画を立てて付加価値がない番組は現代においては無価値と相違ないということです。そのような単なる情報伝達であればYouTubeのような動画で事足りるからです。
そうすると、テレビは視聴者が離れるので広告効果がないcmが打てないメディアになります。さらにマネタイズできないから衰退します。
テレビの行く末を気になりますが、それよりも映画のポテンシャルを信じたいです。