映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」監督・キャスト、あらすじ・感想 二度と見たくない程に怖い怖すぎる

映画「ダンサー・イン・ザ・ダーク」監督・キャスト、あらすじ・感想 二度と見たくない程に怖い怖すぎる

もう2度と見たくない。

賛否2極化すると言われている所以がよくわかりました。

こんな感覚に苛まれる映画は初めてです。

個人的に、もう不気味過ぎて本当に吐き気を催す描写で、ホラーよりもグロテクスであり軽く精神的外傷を被りました。

(僕はもう見ません)

作品情報

制作年 2000年

制作国 デンマーク

上映時間 140分

ジャンル ドラマ

監督

ラース・フォン・トリアー

キャスト

ビョーク(セルマ)

カトリーヌ・ドヌーブ(キャッシー)

デビット・モース(ビル)

あらすじ

アメリカ在住のチェコ移民セルマは息子のジーンと2人暮らし。

彼女は持病によって失明する運命を背負っており、息子も同様の病気であった。

息子の手術資金を工面する為必死で働いているセルマ。

しかし彼女は病気のせいで仕事をクビになり、警察官ビルにお金まで盗まれてしまう。

ビルにお金を返す様揉み合ううちに拳銃が暴発しセルマは殺人犯になってしまう。

感想・考察

トラウマ(精神的外傷)を身を以て経験する

セルマと同じ視点で見れば、視力の低下に失業、犯罪と兎にも角にもどん底に追いやられる物語です。

俯瞰してみても、その遣る瀬無さというのは容易には言い表せない物があります。

賛否が端的に分かれ、2極化するという意見が多いようで、この精神的外傷は凄まじいものです。

アーティスティックでありながらも、オープニングの血糊の様なグラフィックは冒頭から物語の重さを感じさせます。

見るのが怖くなるほどに。

そしてシンフォニックな音楽も異様です。

視覚的演出の巧さ(怖さ)

そんな精神的外傷を思わせるのは、何処かノスタルジックを思わせる淡いベージュがメインの映像とセルマの心理的かつ視覚的描写を再現していると思われる揺れるカメラワークのためでしょう。

実際、仕事にも支障が出るほどの視力もさる事ながら、ビルが家から出て行ったのか如何かすらわからないほどの視力の低下。

生きているだけで恐怖と隣り合わせ。

このセルマの視力による遣る瀬無さというのは、視力による恐怖心から誰にでも優しくしなくれば、何をされるのか分からない。

ということなのかもしれません。

それ故に優しかったセルマと思うとそれがとてつもなく切ないのです。

そして耳に響くモスキート音の様な奇妙な音声。これが一番効きました。悪い意味で。

ダンスと音楽 妄想の中に逃げ込む儚さ

セルマにとっての音楽やダンスというのは、リアリティのない夢見であり妄想によって彩られ構成されています。

ミュージカルチックな演出は一種のドラッグに逃げる人の弱い心を移したようです。

しかし、セルマの遣る瀬無さというのは極限でありそれでも息子を想い働き生きる姿というのはシリアスでは言い表せません。

辛い現実ですがこれがセルマの現実であり、そのリアリティのない夢を見ることさえも一種の逃げであると思うと感情移入せずにはいられません。

セルマの心の安らぎは息子とダンス。

しかしその安らぎすらもタイトル通りに暗い。

失明という暗闇を抱えるセルマの人生模様。

セリフのダイレクトなメッセージ性

中盤の「見るべきものがある?」は非常に重い台詞。

資本によってしか息子を救えない未来への暗示的思考であり、自分の視力に対して自虐的な表現であります。

そして、最後に問うセルマの友人。

息子に必要なのは母親か?目か?セルマの答えはもちろん決まっていました。

しかし失ってから気づくものです。

映画としての魅力と気味の悪さ

なんやらネガティブなレビューになりましたし正直良い物語ではありません。

しかし、最後まで見なくてはいけないという義務感に苛まれました。

それは、この映画の持つ人を惹きつける力であって、この映画の映画としての完成度が高いからでしょう。

好みではありませんが確かに映画としては評価されるべき作品なのでしょう。

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