カラフルな街並みに、ポップな音楽。
そして、どこまでも素直で好奇心のままの子供達。
それを優しく包括するかに見える、生い茂る草木に青く透き通るかのような広い空。
それらとリアルとを対比するにはあまりにも非情極まりない。
アイロニカルなまでの空や草木の美しさ。投影するには酷すぎる。虚構でしかないのに。
6歳の少女の眼に写っていたのは、痛烈な社会派ドラマでした。
作品情報
制作年 2018年
制作国 アメリカ
上映時間 112分
ジャンル ドラマ
監督
ショーン・ベイカー
キャスト
ブルックリン・キンバリー・プリンス(ムーニー)
ブリア・ビネイト(ヘンリー)
ウィレム・デフォー(ボビー)
バレリア・コット(シャンシー)
クリストファー・リベラ(スクーティ)
あらすじ
夢の国ディズニー・ワールドに程近い安価なモーテルで暮らす6歳のムーニーと母ヘイリー。
ムーニーは近所の子供たちと無邪気に楽しく過ごしているが、一方でヘイリーは苦しい生活に頭を悩ませていた。
そして、家賃の取り立てに終われる一見厳格なモーテルの管理人ボビーは彼女たちをいつも優しく見守っていた。
そんな折に、越してきたジャンシーもまた、ムーニーとすぐに仲良くなったが、そんな日常に陰りが…。
感想・考察
”子供は遊ぶのが仕事だ”と言わんばかりに
冒頭のエネルギッシュでパワフルなムーニーとスクーティには、”良くも””悪くも”やられてしまいます。
良くもというのは、これ程までに好奇心のままの言動が、感情論として異様に微笑ましいから。
悪くもというのは俯瞰すれば単に”悪餓鬼”とも思えるからです。
”子供のうちは遊ぶのが仕事だ”と言わんばかりに、血気盛んにイタズラに勤しむムーニーとスクーティ。
勤しむというのも、正に2人にとってはそれが生業だからです。
社会に包括されることで自由な表現を損なってしまうのであれば、社会などネガティブにしか思えない訳です。
しかし、彼女たちの常識外れのイタズラには、「社会って偉大だなあ。」「叱ってくれる人がいることも素晴らしいことだなあ。」などとと思わずに入られません。
近隣住民の車への唾飛ばし、敬意を知らない揶揄的な言葉。「あゝ社会は、教育は大切なんだ」と。
さらに、好奇心によって肥大化したイタズラは予想以上の惨事になってしまう訳です…。
痛烈な社会批判のメディアとして
社会派ドラマというのも、まさに社会問題にフォーカスして映像化したものであれば、それは実に如実で社会への訴えとして直接的で必要性を感じるのです。
しかし、今作はドラマ的な虚構としての側面がありながら、カラフルな各々に見せられる美しい世界の、対として生活に苦しむ表裏一体の姿を見せられて言葉を失う思いです。
ドラマ的な映画というよりも、ドキュメンタリーとしか思えない程にリアリズムを感じるのです。
というのも、演技には見えないほど演技の上手い子供たちの姿はもちろん。
母親ヘイリーの姿に同情の念を抱かずにはいられませんし、母親として娘の命を預かる苦しさを具現化した、一種の風刺媒体に見えてならないからです。
彼女はショーン・ベイカー監督がInstagramを通して発見したということで、今作が演技初挑戦だそうです。
それを知るほどに一層演技には見えず、どこか等身大で、それ故に観客の共感を仰ぐのです。
共感を仰ぐのは、他の誰でもない自分と重ねることができる対象である必要があると思いますが、男であり子もいない自分には本来であれば自分ごととしてはわからないはずが、何か身の内に彼女のやるせない憤りや葛藤をふつふつと湧くように感じるのです。
街の閉塞感
世界最大規模の自動車メーカーゼネラルモーターズを構えながらも、経営破綻してしまったデトロイトは記憶に新しいです。
現在は企業誘致や民間主体の街づくりで活性化が図られているようですが、当時デトロイトと同様の閉塞感を感じます。
デトロイトは時間軸が街の隆盛と衰退を分けるものでした。
今作のフロリダは距離です。
メインの舞台であるモーテルの近くには夢のディズニー・ワールドがあります。
時間軸による閉塞感にも増して距離による閉塞感は、ずしりと重たい。
時間が解決することは多く存在するわけですが、彼女たちの現状は距離も時間も解決してくれそうになく、それが辛い。
それに加えて、より閉塞感を感じさせるのが、今作が独立記念日の物語ということです。
アメリカであればこの日はお祝いのはずです。
自分もです(誕生日)それにも関わらず、何もない日常というのが、また辛い。
こんなにも”綺麗”な社会風刺と映画
綺麗なというのは2つの意味を込めました。
端的に映像的に美しいという意味と、演出が綺麗に整い過ぎて風刺としての効果を一層強く持たせているという意味からです。
素晴らしすぎる映画ですが、それ故に敢えて”綺麗”とアイロニカルに表現させてください。
映像は本当に美しい。
澄んだ空に淡いオレンジがかった夕焼け、生い茂る草の自然。
色彩豊かで加工されたパステルカラーの建造物。綺麗な映画です。
その対比として描かれている、子供目にはわからないギリギリの生活を凌ぐための、大衆的にみたときのヘイリーの愚行。
子供たちへの教育の不届き。
それを具現化してしまう社会への当て付けとしての怒り。
そんな風刺的な描写が、綺麗な映像によってさらに風刺としての演出を確立させ整い、綺麗さを帯びてきます。
ラストを物語るのは何だったのか
ムーニーが語る、ラストの意味はなんだったのか。
これにはいくつか答えがあるかと思いますが、1つ言えることとすれば、現実世界からの逃避行として行き先が夢の国だったのでしょう。
それは文字通り逃避であり、夢の国ということもあり虚構でしかありませんが、現実から目を背ける対象が、近所にあったことでムーニーは救われたのかもしれません。
本質的には必ずと言っていいほど彼女は救われていませんが、それを救うのが夢の国であってほしいものです。