映画「ある少年の告白」LGBTである本来の自分・偽りの自分で生きるのか

セクシャルマイノリティである本当の自分として生きるか、自分に嘘を付き虚構の自分として生きるのか。
そんなズシリと重いメッセージとシリアスな描写。素直に生きることの大切さを感じました。
自分を表現することへの葛藤や両親の柵などテーマは秀逸でしょう。

作品情報

制作年 2018年

制作国 アメリカ

上映時間 115分

ジャンル ドラマ

 

監督

ジョエル・エドガートン

 

キャスト

ルーカス・ヘッジズ(ジャレッド・イーモンズ)

ニコール・キッドマン(ナンシー・イーモンズ)

ジョエル・エドガートン(ヴィクター・サイクス)

ラッセル・クロウ(マーシャル・イーモンズ)

グザヴィエ・ドラン(ジョン)

 

あらすじ

アメリカの田舎町で暮らす大学生のジャレッドは、牧師の父と母のひとり息子として何不自由なく育ってきた。

そんなある日、彼はある出来事をきっかけに、自分は男性のことが好きだと気づく。

両親は息子の告白を受け止めきれず、同性愛を「治す」という転向療法への参加を勧めるが、ジャレッドがそこで目にした口外禁止のプログラム内容は驚くべきものだった…。

 

感想・考察

信仰多寡と本音の加減

信仰の自由も表現の自由もあるので、信仰によって神を崇めることは法的にも認められていますのでこれを否定する訳ではないのですが、すると神の方が立場が信者より上になるように感じます。
すると、そこが救いであり自分を見失う要因になることも確かだと感じています。
この映画でも両親はジャレッドのセクシャルマイノリティを罪である。
と解釈し神に救いを求めていました。
利己主義であれというわけでもないのですが、過剰な利他主義的な思考は自分や周りを破滅させるのではないかと。
そんな事もこの映画から感じました。

父親の愛 抑制か信用か

しかし最終的には、ある程度息子を容認した父の姿が印象的です。
勿論父親の考えも理解できますが、本当に大切なのは息子ジャレッドの意思でしょう。
という自分もジャレッドの父親と同じ立場になったら、心から息子のセクシャルマイノリティを受け入れられるのか?と言われれば怪しいところでもあります。
この手の問題を自分ごととして解釈すると難解なテーマではあります。
社会の流れを見てもセクシャルマイノリティを容認してゆかなくればならないと言うことは理解しています。
しかし自分の親族がそうであった時、果たしてどのくらいの人々がそれを容認できるのでしょうか。
そういう意味で等身大の問題であるとも考えさせてくれるこの映画は素晴らしいです。

ゲイのエロスか、虚構のタナトスか

全体を通してテーマ同様に暗くシリアスに物語りは流れていきました。
確かにその表現が合致するようなメッセージ性です。
ゲイのエロスか虚構のタナトス。
素直な自分でいる事はゲイであること。
嘘を付いた自分でいる事は異性を好むこと。
何方も間違いではなく嘘だらけの社会では往々にしてこの現象はどこにでもみられます。
でも自分は素直で生きたい。
素直な人を認めたいとは思っています。

近年のLGBTを扱った映画からわかること

数々の賞を受賞した事が腑に落ちるメッセージの強い作品でした。
最近は本当にセクシャルマイノリティについて描かれた映画が多いと思います。
社会を写すメディアとして映画が、ソーシャルイシューにフォーカスし社会を表現される事は良い事であるとは思います。
しかし、ソーシャルイシューとして、他にも世間に伝えるポテンシャルのある題材は沢山あると思います。
そんな視点で見ると、ドキュメンタリーですが数ヶ月前にレビューした「tommorow」は非常に良くできた映画だと思っています。
セクシャルマイノリティ以外ももっと取り上げられるといいのかなと思っています。
教育とか地域経済とか。