矛盾ですが、淡くも濃密な思春期。
その時、自分の見えている世界は、それが全てで。
だから、無敵で。
だから、楽しくて。
でも後から思えば、それもまた虚構で、映画のようで。
アメリのオドレイ・トトゥも妖精でも精霊でもなかった。
今を生きる。いつでも今が最高潮と思えるように。
作品情報
制作年 2015年
制作国 フランス
上映時間 104分
ジャンル ドラマ
監督
ミシェル・ゴンドリー
キャスト
アンジュ・ダルシャン(ダニエル)
テオフィル・パケ(テオ)
あらすじ
画家を志す14歳のダニエルは、身長が小さく女の子のような容姿のせいで「ミクロ」と揶揄われていた。
母親は過干渉、兄はパンクにハマりダニエルとは真逆、心を寄せるローラには相手にされない。
そんな思春期真っ只中の彼の元へ、変わり者のテオが転校してくる。
テオと意気投合したダニエレは、日常から抜け出すために夏休みに旅を計画する。
感想・考察
サラリと心地よい作風と少年時代と
今作の監督ミシェル・ゴンドリーといえば、「エターナル・サンシャイン」
もう数年前に見たので内容は覚えていないのですが、どうもハマらなかったという苦い記憶が…。
人気作品ゆえに残念でした。
しかし、今作は好きな作風でした。
あくまで作風です。映画としてはパンチが足りないような、印象に残らないような。
しかし、それも含めて良い味に思えます。
母の過干渉や、思いを寄せるローラとのすれ違い、ミクロと揶揄われてしまう事による自分のアイデンティティの欠如。
それらの、思春期の同情とでもいえば、良いのか。
矛盾していますが、思春期の淡くも心に残る思い出たちが、どこか心地よく心に残って。
それでいて、どこかサラリと流れていってしまう思い出に、過去の自分を投影させる自分に浸っていたのかもしれません。浸れる映画かも知れません。そんな良い意味でしょうもない思春期です。
パンチがないと言いましたが、思春期の出来事なんて後で思い起こせば、そんなものなのかも知れません。
それほど、少年の自分なんて小さくて無力ですから。
当時はそれが全てでしかなくて全力ですけれど、後で思えば本当にどうでも良い事です。
でも、その世界しか知らないから、異様に強くもなれて無敵でもあるのが不思議なところです。
だから、怖いもの知らずの少年時代は異様に輝いて見えるのです。
社会のしがらみも何もかもから解放されて、自分中心で世界が回っているから。
アメリのオドレイ・トトゥの変容について
主人公ダニエルの母は映画「アメリ」で有名なオドレイ・トトゥです。
しかし、まあ驚きました。
アメリの中の彼女は天真爛漫、破天荒、不思議、変人、そんな感じです。
そして、アメリの中にいる彼女は一生涯、大人になれない少女だと、またそういるべきだと、またそういてほしいと思っていた自分がいました。
しかし、今作で映し出されたのは、頬がこけて、シワの入った彼女です。
揶揄的な意味ではないのですが、
こんなのオドレイ・トトゥじゃない。アメリじゃない。認めたくない。そう思いました。
というのも、自分にとってアメリの中の彼女は老いをも感じさせない、妖精・精霊のように見えていたからです。
それほど、彼女の演技とも言えない、無垢な姿が印象的だったのです。それが逆に恐怖にも感じたのですが…。
しかし、誰も老いには勝てないのですね。
でも、だから映画がある。
虚構だけれど、映画の中でならその時の彼女に出会える。
そう思えば、また映画が一層好きになりそうです。
そう思わせてくれた グッバイ、サマーに感謝