実話をベースにした映画で、数ある社会派ドラマの中でも特に社会に忠実な作品に仕上がっている。
「好きな女の子に振り向いてもらいたい」そんな淡い恋が抱く末路とは…。
ソーシャルな問題が浮き彫りになっている現代において、今作でスクールカーストを取り上げ、それが示唆させるものとはなんだったのか。
作品情報
制作年 2015年
制作国 アメリカ・プエルトリコ
上映時間 95分
ジャンル ドラマ、クライム
監督
ジョセフ・カステロ
キャスト
トーマス・マン
ルーシー・フライ
ローガン・ハフマン
ビル・セイジ
ディラン・ブルー
あらすじ
名門全寮制に通う学生・トビーは想いを寄せる女の子に頼まれて麻薬を手に入れる。
口コミにより彼の噂は広がり、学外にも麻薬ネットワークが形成されてしまう。
そして、ついにトビー自身も…。
感想・考察
数ある社会派ドラマの中でも特に社会に忠実
映画は社会を映す鏡だとすれば、この映画は鏡の効果を忠実に再現している。それは、誰もが経験する学生時代という普遍的な時期を映画にするのもそうだし、麻薬を仕入れるきっかけが好意を持つ女性だったということもそう。後者の異性への好意は人によりけりだけれど、現代日本であれば前者が間違いなく普遍的。実話をベースとした映画なので、それもそうなんだけれど、それだけでは語れないほど。
この物語はトビーが麻薬に手を仕入れ、販売する人が増え、最後には自分でも…。という結末を迎える。これは確かに犯罪であることに相違はないのだけれど、彼の根幹にあったのは、思いを寄せる女の子に近づきたかっただけ。それが妙に悲しく、切ない。
といっても、現代社会は大体が資本主義でお金を中心に回っている。すると、彼が引き起こしたこの結末は彼だけの責任でもないように思える。犯罪を肯定するわけでもないけれど、彼自身を作り上げたのも紛れもなく社会であって、是非論だけでは語れないものがある。
実際、彼の生きた社会では、そうすることが彼女と接点を持つ一番の近道であったに違いないし、恋を実らせるには、学生のトビーにとってはそれしかなかった。そんな、善悪もつかられないほどに理性を失うのも恋愛なんだと。「恋は盲目」とは良く言うけれど、トビーは正にそうだった。
スクールカーストが示唆させるものとは
スクールカーストをはじめ身分階級制は未だに至る所で見られる。多様性や個人の尊重がどれだけ騒がれも、実際はどうしようもできないのかもしれない。それでも、それを如何にかこうにかしようとして、色々な策が施されている。特に映画では、そいういう動きが顕著で人種差別をテーマにした「ブラインド・スポッティング」や同性愛をテーマのジェンダーに切り込んだ「僕の名前で君を呼んで」は、そういったソーシャルな問題について描かれている。だから、映画は教育に良いのではないかと僕は思う。
映画を見始めるようになったのも在日韓国人に対する人種差別をテーマにた「GO」がきっかけとなっている僕は、こういった社会派ドラマが好きなようだ。それは単に映画を娯楽としてではないくて、何かをインプットしようと思って見ていることが多いからかもしれない。どういう見方が正しいとかではなく、そういった見方で映画を見ると楽しさが増すということは確かだと思っている。だから、これからもそういう教育とか教養的な視点で映画を見たいななんて思っている。そして、今作のメッセージはそういったスクールカーストの行方はこういった悲しい結末が待っている。ということなんだろうと感じる。