映画「君の名前で僕を呼んで」監督・キャスト、あらすじ・感想 淡々と進む日常に露出される少年の心情

淡々と進む日常だからこそ、見えてくる少年のデリケートは心情を効果的に魅せる北イタリアの情景。

近年頻繁にテーマになるLGBTについての映画だけれど、”知を持って何を制すか”という点でエリオの父が大きな存在になっている。

作品情報

製作年 2017年

製作国 イタリア・フランス・ブラジル・アメリカ合作

上映時間 132分

ジャンル ドラマ

監督

ルカ・グァダニーノ

キャスト

アーミー・ハマー(オリヴァー)

ティモシー・シャラメ(エリオ)

マイケル・スタールバーグ(パールマン教授)

アミラ・カサール(アネラ)

あらすじ

1983年、夏。

家族に連れられて北イタリアの避暑地にやって来た17歳のエリオは、大学教授の父が招いた24歳の大学院生オリヴァーと出会う。

一緒に泳いだり、自転車で街を散策したり、本を読んだり音楽を聴いたりして過ごすうちに、エリオはオリヴァーに特別な思いを抱くようになる。

ふたりはやがて恋に落ちるが、夏の終わりとともにオリヴァーが去る日が近づき…。

感想・考察

淡々と進む日常だからこそ、見えてくる少年のデリケート

多くの方が今作の映像を高く評価しているよう。北イタリアの草木や川の流れ、閑散とした街並み。それぞれ美しいことに異論はないのだけれど、物語が淡々と過ぎてしまうことで、映像に少し物足りなさを感じたのが正直なところ。時間をかければ良いのかと言われば、そうでは無いのだけれどもっと効果的に魅せることができるのかなと。そう思うのは、北イタリアという町そのものの魅力があるからだろうと思う。

映像と物語に親和性が薄いというか。最初はそんな風に思ってしまったのだけれど、そうでもなかった。というのも、その北イタリアという場所を含めて少年の身に起こる様々な出来事を、淡々と映すことで少年のデリケートでセンシティブな少年時代を効果的に魅せているように感じてきたから。

そう思うと、その淡々と過ぎてしまう少年時代の日常というのは切なくて儚いものだと想起させる。実際、僕も少年時代を思い起こせば、その時はとてつもなく重たい出来事に感じていたことが今は淡々と思い起こせる。俯瞰できる・できてしまう今は少し悲しいような気もするけれど、少年時代の思い出はそんなもんなのかな。だから、常に今を大切に的なことを教えてくれた映画。

知を持って何を制すか LGBTについて

今作は近年よくあるLGBTとテーマにした映画。グザヴィエ・ドランの作品が好きでLGBTをテーマにした「わたしはロランス」「ある少年の告白」「トム・アット・ザ・ファーム」なんかは名作だと感じているし、アカデミー賞の歴史を覆したと言われている「ムーンライト」も素晴らしい。そして、中でも「ブエノスアイレス」はLGBTの先駆的な作品として、現代に大きな影響を与えているのではないかと思うし、監督・王家衛は1990年代にそのテーマで製作を行なったことに先見の目をいうか、凄みを感じる。

今作では主人公・エリオの大学教授である父の存在が物語の軸になっている。エリオとオリヴァーを繋げるきっかけになったのも彼であるし、物語の起伏になる場面でも彼が挿入されることで、その起伏が過度になり過ぎず淡々進めるに一役買っている。そして、終盤ではエリオの抱えてきた鬱憤を父の語りが昇華させる。

大学教授というバックグラウンドがそうさせるのか、彼の人間性という抽象的なものなのか。それは不明瞭だけれど、彼のベースには教養的な”知”があって、単にそれは勉強ができるということでもなく、エリオの性的な好みを容認できるところに本質的な”知”を感じることができる。”知”という言葉は文字通り、表面的には「知る」の意味だけど、「物事の道理を知り、正確な判断を行う」という意味もあって、彼には後者の”知”を感じることができる。

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